大阪市史跡 中島大水道顕彰碑 説明版・・・大阪市東淀川区西淡路5丁目

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中島大水道顕彰碑 説明版

備忘録

もう、1年以上前の物です。

取りあえず行けるだけ行けと思っていたころです。

昭和四十四年三月 大阪市建立

中島大水道は、大道道村澤田久差衛門らの首唱により延宝六年(一六七八)完成し 明治三十三年の淀川改修に至るまでその機能を失わず住民に多大の恩恵を与えた。

 

名称大阪市史跡 中島大水道顕彰碑 説明版
場所〒533-0031 大阪府大阪市東淀川区西淡路5丁目1−60
地図

 中島大水道は、北中島地区の農民が、度重なる水害と水はけの悪さに耐えかねて切り開き、東は西成郡増島村(現東淀川区淡路地区)から西は申新田(現此花区伝法地区)に至る九.五キロメートルに及び大用排水路であった。
延宝二年(一六七四)から同四年にかけて三義人と言い伝えられている来た大同村の澤田久左衛門、山口村の西尾六右衛門、新家村の一柳太郎衛門などを先頭に、二十二か村の庄屋や村民が幕府に公儀普請による水道開さくの願いをくりかえしたが、莫大な工事費がかかるので、幕府は、百姓自前の普請として水道開さくを許可した。
庄屋たちは二十二か村の村民を説得し、資金役二千両を募って延宝六年の春わずか五十日で水路を貫通させるという偉業をなしとげた。
依頼、たゆまぬ維持、補修により二百二十余年にわたって、その機能を果たし続け、地域の人々にはかりしれない恩恵をもたらした。
ここに、今日の東淀川区、淀川区及び西淀川区の発展の礎を気づいた先覚者の義挙を末永く顕彰するため、この碑を顕彰する。
昭和六十三年 五月 期日
発起人 東淀川農協協同組合

大阪府
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