平成49年4月1日 (1974年) |
・豊中市立泉丘小学校 設置開設 ・豊中市立少路小学校 設置開設 ・豊中市立野畑小学校 設置開設 ・豊中市立東豊台小学校 設置開設 ・しんでん幼稚園 設置開設 ・豊中養護学校 設置開設 ・豊島西公民分館 開設 |
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平成49年4月9日 (1974年) |
・豊中市 PTA会員に交通指導員(黄色いママさん)を委嘱 小学校(蛍池・野田・豊南・千成・庄内西)でまず実施 |
平成49年4月15日 (1974年) |
・大阪国際空港周辺整備機構が設立された ・大阪大学法学部に 研修のため市長公室の男子職員を研修生として入ふぁく左折 以後技術職員も派遣予定 |
平成49年5月1日 (1974年) |
・島田保育所(庄内栄) 開設 |
平成49年5月9日 (1974年) |
・大阪地裁 樫の木公園(新千里北町)で 児童がザリガニ取に行き転落死した事件(昭和47年.7.4)で敗れた柵を放置した豊中市にも管理石んアリとして賠償金390万円(親の管理責任の過失もあり相当分減額)の支払い命ずる 柵が釣りをする人にペンチで切断されることが多く 31カ所の市有池の管理に苦慮 12.3にも同様の事件判決でも支払い命じられる 50.6.7 大阪高裁の控訴審でも、市側敗訴(増額) 6.17 上告断念br> ・豊中市立大池小学校、校舎と運動場の間にあった用水路を埋め立て 整地 これまでの橋(みどり橋、のぞみ橋)を使っての移動や用水路に落ちた「ボール拾い」の必要なくなる |
平成49年5月15日 (1974年) |
・下村輝雄 豊中市長に就任(十三~十六代) |
平成49年5月28日 (1974年) |
・市教委 視聴覚機器を各市立が学校に順次整備する計画の一環として まずOHP(複合投影機)を各学年に1台設置の予算化 |
平成49年5月 (1974年) |
・豊中市立東丘小学校 校庭増築工事現場か出た残土を利用し 築山を造成 このころから多くの学校で作られ始めた。 豊島小:ひょうたん山 豊島西:こぞう山 桜井谷小、新田小・・・・ |
平成49年6月1日 (1974年) |
・学校旧行く方を改訂し 小・中学校、高等学校に置く職員として 「教頭」を追加 校長を助け 公務を整理し 必要に応じて教育をつかさどる ・豊中市立刀根山小学校 重度重腹心障害児広域学級「ひろがり学級」を設置 島田・西丘小学校につづき3校目 |
平成49年6月5日 (1974年) |
・豊中市立東丘小学校 この月から 毎日5日教育相談日 保護者の相談に応じる 全担任 放課後教室で待機 「親と学校えお結ぶコミュニィー作り」を目指す |
平成49年6月9日 (1974年) |
・豊中市立克明小学校 創立100周年の記念式典を行う |
平成49年6月27日 (1974年) |
・豊中市立南桜塚小学校 水泳練習中の5年児童 心臓麻痺を起こし死亡 春の定期健診では伊蔵はなかったが「肥満児のため体表から急激に熱が奪われたため」と担当医が診断 |
平成49年7月16日 (1974年) |
・環境庁 この日から 豊中市南部で発生している鼻出血症状の調査に着手、大阪空港の東南部・服部地区での症状多発と航空機の排ガス、騒音との因果関係を調べるため、当該地区の乳幼児、児童を健診 |
平成49年7月29日 (1974年) |
・市学校給食事務所 市内小学校における一学期の給食の残菜調査発表 残菜量7% 780万相当 ビーフサラダ14.5% ジャガイモののそぼろ煮11.3%嫌厭されるが 生野菜1.6% カレーシチュー2.9%などほとんど食べ残し無し |
平成49年7月 (1974年) |
・蛍池識字学級開設 ・下水道の普及で天竺川の水がきれいになり魚戻る |
平成49年8月1日 (1974年) |
・豊中市立図書館 視聴覚教材用講習会を実施 教師 官公庁職員 主婦など44人が受講 |
平成49年8月12日 (1974年) |
・豊中市 公害により呼吸器疾患に悩む児童を 公害に「短期疎開」させる方針を決める 喘息患者109人 能勢の市立青少年野外活動センターで生活させる。 |
平成49年8月16日 (1974年) |
・豊中市 「ため池の危険防止に関する条例」を市議会に提案(9.2可決) 個人所有のため池255カ所、野井戸・の壺200カ所が対象。所有者には私財を提供して安全柵を作らせる。 保護者には「子どもが危険なため池等に近づかないように注意する義務」課す。府内でか貝塚市が制定 |
平成49年8月31日 (1974年) |
・豊中市立豊島西・高川小学校 防音工事と空調設備工事(冷房)を 同時に終える 先行した小学校の実態から 防音機能を発揮させるためには空調装置が不可欠 引き続き第一中にも実施 |
平成49年8月 (1974年) |
・豊中市立泉丘小学校完成間近 地区の通学路の整備が間に合わず問題化 通学路完成までの代替道路も危険として スクールバスの運用決める ・豊中市立東豊台小学校 校庭用地の買収交渉が難航 今だに予定地は「青々明日水田のまま」の状態 よく円1月 ようやく地主と交渉まとまり4月に完成 |
平成49年9月2日 (1974年) |
・豊中市立 心身障害児の公立幼稚園の受け入れ方法を「優先遊園」に切り替え 同年度から実施した 一般入学希望者と同等の扱い(抽選入園)を変更 |
平成49年9月5日 (1974年) |
・建築部に庄内再開発室が設置された。 |
平成49年9月17日 (1974年) |
・空港周辺(服部地区)に多発する鼻出血の子供たちの治療費を公費負担することを決定 原田小学校の学区内にある服部地区の乳幼児に46年頃から多発 |
平成49年9月25日 (1974年) |
・豊中市立大池小学校の正門側に 花時計が完成 |
平成49年9月 (1974年) |
・豊中市立北緑丘小学校 校区内の児童数の増加に伴い創設(41年)以来進められてきた校舎の増築工事終わる ・11月開所予定の高川保育所 所要のほどが確保できず 準備遅れる |
平成49年10月1日 (1974年) |
・この日行われた市の機構改革で 同対策室(市長公室) 公害対策課(企画部)を昇格 新たに 消費生活課 交通安全課を新設 |
平成49年10月3日 (1974年) |
・豊中市立豊島小学校 創立100周年記念のモニュメント(大理石とカラーグラスを素材にした高さ2.5mの彫刻)完成 |
平成49年10月 (1974年) |
・豊中市 腰痛を訴えていた保育所保母など22人を 独自に職業病と認定し 通院などで休んでも 賃金カットせず |
平成49年11月3日 (1974年) |
・沖縄市と兄弟都市提携 |
平成49年11月5日 (1974年) |
・障害児の優先入園方向決定後 初の市立幼稚園の願書受け付け始まる 各園とも定員の一部(20人)を優先入園用に保留したため昨年より募集枠を狭め 各220人を募集 平均競争率1.32倍 最高はゆたか幼稚園 1.6倍 |
平成49年11月27日 (1974年) |
・梅花高等学校(上野西) 次年度から外国語学科(1学級40人)の新設予定 府教委に申請 |
平成49年11月 (1974年) |
・豊中市立桜塚小学校 創立50周年記念に 校地内の緑化プランをたて まず花壇を造成 百葉箱57年 中庭の整備 観察家や飼育舎の改造を 平成5,6年後までかけて整備する |
平成49年12月1日 (1974年) |
・豊中市立豊島小学校に 築山(こぞう山)が完成 校舎建築時の残土の利用 |
平成49年12月9日 (1974年) |
・市教委 豊中市立第四中学校に夜間学校の開設を決める |
平成49年12月10日 (1974年) |
・豊中・川西市住民三六九四人が 大阪地方裁判所へ大阪国際空港公害訴訟を提起(第四次) |
平成49年12月 (1974年) |
・市教委 スポーツリーダー制度発足(159人) ・庄内地区の児童数の減少 より顕著 特に選有り小学校 ・豊中市桜井谷小学校 木造校舎(29年建設)を撤去 これにより市立小中学校から木造校舎のすべて消える ・豊中市立豊島小学校 始業前の「なわとび運動」を始める 9年後のインフルエンザ大流行の時 市内唯一 学級閉鎖にならず |
平成49年 (1974年) |
・豊中市立千成小学校 創立9年目を迎えたころ地盤沈下の影響で始める 最大23㎝ 校舎の壁面に亀裂はいる 応急処置の他 56年 以降改修工事などする ・豊中市立泉丘小学校 開設ふぉ賞金の手作り(木製)sw 様々な備品 用具をそろえる ・豊中市立高川小学校PTA(育英会) このころから「親子プール」「親子ハイキング」「親と教師の語る会」を始める ・豊中市立大池小学校 「生活カリキュラム」研究大会を開催 53年に教育課程研究指定校(府)になる このころから「生活学習」にかかる教育課程の研究など実践が増える ・豊中市青年会議所 市内向こうがに畑地(2000㎡)を借り受け「教育農園として付近の小学校に提供 野畑・少路・桜井谷 さつまいもをの苗を植える 昭和54年から桜井代に 55年大池と加わる |
平成50年1月30日 (1975年) |
・豊中市立第十中学校 校歌を制定し発表会 作詞作曲専門家 |
平成50年2月19日 (1975年) |
・豊中市豊南小学校PTA 自治会など校区内の16団体・組織「豊南の子供を守る会」を結成 |
平成50年2月21日 (1975年) |
・豊中市 大阪府企業局 千里ニュー多雨雲丹文化センター(図書館、公民館、老人センターの複合施設)建設合意 |
平成50年2月24日 (1975年) |
・豊中市域にある府立高校の卒業式に 平穏さと厳粛さが復活 桜塚高校で「仰げば尊し」が唱和される。前年までは紛争のあおりで土豪が飛び交い 式次第を簡略化して実施 |
平成50年2月 (1975年) |
・豊中市立西丘小学校 6年生が卒業記念に古電柱を利用したトーテムポールの作成に着手 ・市内のマンション・アパート建築ブーム いったん下火 建築確認申請が前年の半分 |
平成50年3月7日 (1975年) |
・豊中市立小曽根小学校 「創立百周年記念の集が行われる 記念植樹・風船飛ばし |
平成50年3月28日 (1975年) |
・市議会 柴原財産区から体育館用地の寄付を受け入れる案件を議決 |
平成50年3月30日 (1975年) |
・北大阪急行電鉄緑地公園駅 開設 |
平成50年3月31日 (1975年) |
・大阪府教育委員会 新田小学校旧校舎 府文化財に指定 ・豊中市第一中学校 2年前から始められた校舎の防音・空調施設工事終わる |
平成50年3月 (1975年) |
・私立学校の新設がピークとなり この年度の新規採用教員数110人(うち 女子教員100人)を超える ・豊中市立桜井谷小学校で 植樹、緑化などの校地内の整備を本格化 ・豊中市立桜塚小学校 創立50周年 「雨にも風にも負けず像」たてる ・豊中市立南桜塚小学校 47年(4室9に続き プレハブ(4室)を設置 ・豊中市立南丘小学校 卒業記念にモザイク壁画制作 ・豊中市立第一中学校 この年から合唱コンクール始まる 3学期からの実施のため1,2年のみ ・不況で 教員採用辞退者が激減し 1000人あまりが候補者リストに掲載されながら不採用見込みとなる |
関連 (1974~75) |
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・1974年 豊中市麻田 長興寺 小曽根 北条 石蓮寺廃止 | |
・1974年6月 豊中市立庄内図書館(庄内文化センター)工事着手 ・1974年8月 小曽根分室開設(小曽根センター内・のちに小曽根図書室に改称) ・1975年3月 七幅子ども図書室閉室 |
全国 | |
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・1974年4月1日 シチズン時計「クオーツ リキッドクリスタル」発売 | |
・1974年4月20日 モナ・リザ展 東京国立博物館 | |
・1974年5月15日 セブンイレブンの第一号店は東京都江東区豊洲 | |
・1974年8月15日 ソウルで朴大統領狙撃事件 津川雅彦長女誘拐事件 |
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・1974年8月28日 神奈川県平塚市でピアノ騒音殺人事件 | |
・1974年8月29日 宝塚歌劇団 「ベルサイユのばら」 宝塚大劇場で初演 | |
・1974年8月30日 束京 丸の内 三菱重工ビル爆破事件 | |
・1974年9月1日 原子力船むつの放射線漏れ | |
・1974年9月2日 トンボ鉛筆「暗記ペン」発売 | |
・1974年9月13日 ハーグ事件 オランダのデン・ハーグで発生した日本赤軍による人質事件 | |
・1974年10月6日 テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』 第1作 よみうりテレビ・日本テレビ系で放映開始 | |
・1974年10月8日 佐藤栄作前首相 ノーベル平和賞受賞決定 | |
・1974年10月14日 長島茂雄引退 | |
・1974年11月1日 カシオ計算機「カシオトロン」発売 気象庁のアメダスが運用開始 |
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・1974年11月1日 本田技研工業「シビックバン」を発売 | |
・1974年11月9日 東京湾でLPGタンカーとリベリア貨物船衝突。死者・不明33人 | |
・1974年11月26日 田中首相、退陣表明 | |
・1974年12月9日 三木武夫内閣発足 | |
・1974年12月17日 別府3億円保険金殺人事件 | |
・1974年12月18日 岡山県水島コンビナート 三菱製油所から重油流失 | |
・1975年1月1日 青木湖バス転落事故 | |
・1975年2月18日 ザ・ピーナッツが引退表明 | |
・1975年3月10日 山陽新幹線、博多まで開通 | |
参考 | ・豊中市市史 ・https://ja.wikipedia.org |
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