山中石松之碑
供養的な碑になるみたいですが・・・
破堤防禦義死 山中石松之碑 /表側に彫られている文字
明治廿八年廿七日大洪水ノ為千里川漲溢シ延長
廿五間破堤防禦ノ際溺死ス有志義援金ヲ以テ記念の為 同年九月建立 /裏面の文字
明治二八年(一八九五年)
花崗岩で作られているみたいです。
千里川は、水源が浅く平素は水量が本当に少ないがひとたび大雨が降るとたちまちに氾濫していたみたいです。
明治二八年の大洪水で約四五メートルに渡って堤防が切れた。村民たちは取りあえず区内寺院の畳なども持ってこれを防いだが、このとき石松は若年のせいもあって、誤って畳もろとも濁流にのまれたと伝えられているそうです。
引用:豊中の史跡を訪ね描き 福西茂 or わがまちの歴史 豊中 小林茂 どっちか
資料では、4丁目になっていましたが・・・たぶん間違いだと思います・・・
番地変更などあったのならわかりませんが・・・
名称 | 破堤防禦義死 山中石松之碑 |
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場所 | 〒560-0021 大阪府豊中市本町3丁目8 付近 |
地図 |
他 画像
半年くらい前に見かけていて・・・
まぁ分からなかったんだけど・・・3か月目位にわかって・・・
今になります・・・時間たちすぎ・・・
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