豊中市寺内にある 岸龍山観音寺 廃寺だったのか・・・藤井三淳先生とは

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藤井 三淳先生の墓

自分の中では予定に入っていなかったんだけど・・・

何やら説明版もどきが・・・目に入ってしまった。

三淳先生は、始め尼崎城主青山候に仕え、弱冠にして明敏、博く経史に通じ、篤く理学を好み、後石蓮寺村(現若竹町一丁目)に返り、医学を業として報酬を求めず、貧者には恤みてあつく施し、里人の敬服することも恰も慈母の如くであった。享保三年(一九一八)歿し、当山に葬られました。
平成十年11月吉日

ってことで取りあえず1周してみたけども分かりくいのか無いのか・・・

まぁ有るんだろうけど・・・わからなかった。

意外と一番目立つやつがそうだったとかだったりね・・・?

でも、他のブログを巡回しても見れてない感じだから分かり難いんですかね?

岸龍山観音寺

観音寺 説明版
行基菩薩開創にして
多田満仲公守本尊として崇拝され 徳川家康公 大坂夏の陣中より具足を以て灯ろうをつくり戦勝を祈願されたといわれてる「くさずり」の燈ろうを今に伝える 堂内には行基作と伝える観音像が安置されている

源 満仲(みなもと の みつなか)は、平安時代中期の武将。清和源氏、六孫王経基の嫡男。多田源氏の祖で、多田 満仲(ただ の みつなか、ただ の まんじゅう)とも呼ばれる。墓所 兵庫県川西市多田神社
wiki:https://ja.wikipedia.org/wiki/源満仲

観音寺は行基の開基であったが次第に衰えたのち、僧一山が再興して臨済宗妙心寺派となったものの、寛政4(1792)年の一山の死後はまた途絶え、明治6年の廃仏毀釈で完全に廃寺となって、現在は小さいお堂のみが残っているとのこと。
引用:レファレンス共同データーベース

登って左に行くと墓地・・・どこに藤井先生がいるのか・・・

利用者もいますし、地域地区で管理されているみたいですので廃寺みたいですが綺麗に維持されてます。

地図

追加・・・

藤井三淳先生の墓石 見つけてきました。  7/18

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