豊中グラウンド跡地の記念公園 高校野球発祥地 高校野球メモリアルパーク 豊中市

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豊中グラウンド跡地の記念公園

2017年4月6日にリニューアルしました。

球史ここに始まる

やっと行けたって感じです・・・

いつも、この辺までは来てる感じだけど・・・

どうもたどり着けなくて・・・そこまで行く気でもなかったけど・・・

やっと行った。

転がってる写真は、一部だろうと思っていたが・・・

全部だった。。。

まぁ他にもレンガ跡くらいはあるみたいだけど・・・

メモリアルパーク特に大きな公園があるわけではなく・・・ここのベンチだけです。

裏に同じくらいの広さの空き地があるから、そこもなんかあったらいいのにね!?

初めて親善大使に選ばれたのは、履正社高校出身で東京ヤクルトスワローズの山田哲人選手です。

大正4年(1915年)、第1回大会が豊中で開催

豊中グラウンドは、明治43年(1910年)に開通した箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)が、
沿線の集客のため大正2年(1913年)5月に建設したものです。
赤レンガの外壁に囲まれたグラウンドは2万平方メートルと広く、当時としては日本一の設備を誇ったそうです。
第1回大会の参加校は10校。
5日間の熱戦のすえ、京津地区代表の京都府立第二中学(現・鳥羽高校)が優勝しています。
豊中市HP引用

しかし、諸問題が多く発生したため大会をこれ以上豊中1箇所で行うことが困難という理由で1917年(大正6年)の第3回大会以後、兵庫県鳴尾球場に移動し、豊中での開催は2回で終了となる。

往時を伝える高校野球メモリアルパーク

昭和63年(1988年)、ちょうどグラウンドの正門の向かい側にあたる一角を高校野球メモリアルパークとして整備しました。
これは、第70回大会を記念して豊中市と日本高等学校野球連盟が協力して建設したもので、レンガ塀には、第1回大会始球式のレリーフがはめこまれています。
この高校野球メモリアルパークは、夏の全国高校野球が平成27年(2015年)に100周年、平成30年(2018年)に100回大会を迎えるのに合わせ、再整備事業を進めています。
計画では、メインエントランスに豊中グラウンドの門柱を再現するほか、歴代の優勝校名をプレートで表示する予定です。
豊中市HP引用

・題字署
高校野球発祥の地
日本高等学校野球連盟会長  牧野 直隆
・豊中グラウンド跡地
豊中市長 下村 輝雄
・彫刻制作
日本芸術メダル協会会員
1988年8月

豊中グラウンドの沿革
右側の社告は, 大正4年(1915), 第1回全国中等学校優勝野球大会を豊中グラウンドで開催するにあたって大阪朝日新聞に掲載された社告である。
中央部のブロンズレリーフは当時の朝日新聞社村山龍平社長の始球式姿で, まさに歴史的な第1球といえる。
村山龍平翁は「青少年を育てるスポーツとしての野球を」という立場から大会開催を決断した。これが今日の高校野球の精神として受け継がれている。
大会は8月18日から25日まで全国からの代表10校が参加して開かれ, 優勝は京都ニ中が手にした。
第2回大会は12校が参加して大正5年8月16日から20日まで開かれ慶応義塾普通部が優勝した。
翌年の第3回大会から舞台は西宮の鳴尾球場に移ったが, 豊中グラウンドは野球史上に大きな足跡を残した。
この豊中グラウンドには大正2年(1913)5月1日, 綿畑などであった140M四方, 面積19600平方Mの土地に箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)によって建設された。
周囲は高さ1M余の赤レンガ塀で, 木製の観覧席のほかに応援団席もあり最高の施設だった。
その後住宅地として分譲され, このメモリアル パークは当時のグラウンドの正門前である。
豊中で始まった全国中等学校優勝野球大会昭和13年(1948)の第30回大会から全国高等学校野球選手権大会と改称され, 歴史を重ねて今年70回大会を迎えた。
これを記念してメモリアルパークを建設し「高校野球発祥の地」として永く保存するものである。
昭和65年(1988)8月1日
日本高等学校野球連盟
朝日新聞社・豊中市

当時のグラウンド 豊中市 冊子引用

公園名豊中グラウンド跡地の記念公園 メモリアルパーク
とよなか百景の一つ
場所〒560-0026 大阪府豊中市 玉井町3丁目3−1
時間フリー
設備ベンチ
規模小規模 街区公園位
駐車場なし
ホームページhttps://www.city.toyonaka.osaka.jp/joho/shoukai/gaiyou/baseball.html 豊中市
地図

 

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