平成48年4月1日 (1973年) | ・豊中市 庄内下水処理場供用開始 ・豊中市 財団法人豊中市土地開発協会 豊中市土地開発公社に組織変更 私法人 から 公益法人 に ・豊中市立第十一中学校 設置開校 /市内最大のマンモス校第三中を分離 ・豊中市立第十二中学校 設置開校 /第四中を分離 ・豊中市立南丘保育所 開設 ・大阪府立高校の学区制 これまでの5学区制から9学区制に細分化 豊中市の第一学区は変更なし ・豊中市立小中学校(養護学級) 延べ52学級となる ・豊中市立高川小学校および第五中学校 同和教育推進校(市指定)となる 59年に第五中学校は府指定になる ・豊中市立第十中学校 生徒指導の研究(府指定)となる ・豊中市教職員住宅(西緑丘 鉄筋3階建て)完成 |
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平成48年4月4日 (1973年) | ・豊中市立保育所の需要 入所数を大きく上回る 補遺億所の増設にもかかわらず2/3しか入所できず 1417人が待機 |
平成48年4月5日 (1973年) | ・豊中市立新田小学校 上新田に丁目に新校舎完成 |
平成48年4月11日 (1973年) | ・豊中市学校給食会 パン・ミルクのネア害を理由に給食費11%値上げ 低学年 1140円(1025) 11.2%値上げ 高学年 1180円(1065) 10.8%の値上げ |
平成48年4月15日 (1973年) | ・豊中市部落解放同盟蛍池支部が結成 |
平成48年4月26日 (1973年) | ・豊中市小学校校長会・中学校長会 翌日予定の教員スト「義務教育諸額教員人材確保法案」に反対し 小学校は休校、中学校は午後から授業とすること) 交通ストへの対応を申し合わせ |
平成48年4月 (1973年) | ・豊中市立上野小学校 新年度 児童数が1600人を超えたため プレハブ7教室増設 ・熊野田小学校 この年 児童数最多 1530人 40年頃から旭ヶ丘団地の入居者ぞうにつれて ・豊中市立東豊台小学校 開校7年目 児童数最多 ・豊中市立桜井谷小学校 この年 児童数が2000人超える ・豊中市立第一中学校 同年度から特殊学級(養護学級)の呼称を「基礎学級」と改める ・この月開放した蛍池解放会館内に 保育所wp併設 |
平成48年5月1日 (1973年) | ・大阪府内に この年はじめて光化学注意報発令 |
平成48年5月9日 (1973年) | ・豊中市教育委員会 障害児教育推進協議会を設置し この日 第一回会合 |
平成48年5月14日 (1973年) | ・豊中市立島田小学校 市内小学校で初めて重度心身障害児学級「ひろがり学級」を設置 |
平成48年5月17日 (1973年) | ・文部省 学校の健康診断の項目に 尿と心臓の検査 肥満児の栄養検査を加える |
平成48年5月29日 (1973年) | ・豊中市立豊島北小学校 児童会の自主運営による学年別球技大会を開催 2,3年ドッジボール 4年ハンドベースボール 5,6年ソフトボール大会 |
平成48年5月30日 (1973年) | ・豊中市立豊島北小学校 児童会の自主運営による学年別球技大会を開催 2,3年ドッジボール 4年ハンドベースボール 5,6年ソフトボール大会 |
平成48年6月22日 (1973年) | ・豊中市美術協会(30年 市内在住の美術愛好家で結成) 美術館建設推進会を結成し確保面に働きかける |
平成48年6月25日 (1973年) | ・生活苦に苦しむ母親(服部寿) 4歳の女児を捨て子にすると警察に予告(110)して家出 警察が休校して幼児を保護 母親6.27 警察に出頭し「離婚後 生活苦のため就職口を探すのに子供が足手まといだった」と釈明 |
平成48年6月28日 (1973年) | ・豊中市内の市立幼稚園37園 豊中市立幼稚園振興財団を設立 |
平成48年6月30日 (1973年) | ・豊中市立刀根山小学校 水泳授業中の6年児童35人 光化学スモッグの被害受ける この詩の被害初めて 7月に入り連日注意報が発令 水泳授業が出来ず 深刻な水不足もありプール閉鎖 |
平成48年6月 (1973年) | ・豊中市北部 ニュータウン地区の幼児にハンドフットマウス病(手足口病)が広がる腸内ウイルスによる消火器から伝染 45年にも大流行 ・市教委 12月 市民会館で行うベートーベンの第九交響楽演奏会の合唱に市民の参加を呼びかけ |
平成48年7月10日 (1973年) | ・豊中市 無認可保育園(家庭・簡易保育所)への公費による施設整備資金貸付((無利子無担保)を制度化 昭和36年 公立保育所の不足を補うためにうまれた |
平成48年7月20日 (1973年) | ・豊中市立岡町図書館(岡町北:昭和20年) 全面改装が完了し 業務再開 |
平成48年7月20日 (1973年) | ・豊中市立第十一中学校 この年から 校庭にテントを張り 校内キャンプを実施 |
平成48年7月26日 (1973年) | ・豊中市立少年自然の家 豊能郡能勢町に開設 |
平成48年7月 (1973年) | ・豊中市の小学校で臨海学校を実施する学校がへり 林間学校が盛況となる 数年前までは全校が臨海学校を実施 海の汚染を警戒し敬遠 実施校も日本海側に変更 ・豊中市安全協議会(市、豊中署で構成) 夏休みの間 子どもの遊び場として市道の一部を開放することに市 実施地域を指定 ぴょんぴょん広場 と故障し 以後毎年実施 ・梅花短期大学(上野西) 夏休み中 料理研究室を市民に開放し お菓子講習会を開く ・市、市域の帯域汚染(硫黄酸化物の高濃度汚染)の原因は南西風によって流れ込む 大阪市、尼崎市、伊丹市の工場群からの排煙によるものであるとの調査結果を公表 |
平成48年8月1日 (1973年) | ・豊中市立北丘補遺育所 開設 |
平成48年8月 (1973年) | ・豊中市小曽根小学校区の住民 北条に計画中のマンション建設に反対運動展開 小曽根小学校の過密状態に拍車がかかることに懸念 ・豊中市立学校 建築資材の高騰で 建築工事の請負契約がまとまらず工事予定の7学校施設など工事の遅れ必須 |
平成48年9月1日 (1973年) | ・文部省 各都道府県に 学校建築の階数制限緩和 4階以下を原則とする |
平成48年9月25日 (1973年) | ・市、北大阪急行御堂筋線に緑地益を市負担で建築するための 関係予算計上 51年完成3.30 |
平成48年9月28日 (1973年) | ・豊中市立北丘小学校過大化対策協議会 同地区に小学校をもう一校開校するように市に陳情 市内地のマンモス校 「旧市域に比べて用地取得が困難で校区分割は無理」 |
平成48年9月 (1973年) | ・豊中市立南丘小学校 西菅完成 創設(44年)から 6次にわたっての工事が終わり 本館 中館 北館 西館の配置が整う ・豊中市立第五中学校 西館が完成 創立以来の続けて増築工事終了 続いて既存校舎の改修工事 |
平成48年10月9日 (1973年) | ・豊中市立中豊島小学校 創立100周年記念運動会を開催 中豊島音頭(同校作成)を発表し 校庭に校章を人文字で描く |
平成48年10月24日 (1973年) | ・市教委 公立幼稚園に障害児を受け入れる方針を表明 公立幼稚園の入園取り消しとして要綱に掲げられていた「集団生活に耐えられないとみ遠目られたとき」の項目を新年度から削除 |
平成48年10月 (1973年) | ・豊中市立南桜塚小学校 35年から進めていた校舎の鉄筋化工事が終わる ・豊中松竹(岡の上町) 改装のためへ移管 大正8年 回り舞台を持った大規模な「芝居小屋」としてスタートし昭和7年から映画館となる(3000人収容) 長い間 豊中随一の娯楽施設であったがマンション建設のため取り消し のちに の地下に規模を縮小して再開 |
平成48年11月1日 (1973年) | ・石油危機によるトイレットペーパー買いだめ騒動が千里ニュータウンのスーパーで起こる |
平成48年11月19日 (1973年) | ・豊中市立東丘小学校 この日南館が完成し 創立以来(41年)以来続いた諸施設の増築工事終わる 交通公園(45年)・タイヤ公園・築山・アスレチック・運動場整地・バックネット(58年の間に環境が整えられる |
平成48年11月20日 (1973年) | ・豊中市立西丘小学校に 重度心身障害者広域学級「ひろがり学級」4学級設置 修学猶予・免除となっている8~16歳の障害児12人を受け入れる |
平成48年11月 (1973年) | ・豊中市内 私立幼稚園 人件費、教材費の値上がりに伴い 次年度から入園料・保育料の大幅引き上げを計画 入園料:2000円~5000円アップ(現行1万円) 保育料:雪楽800円~1000円アップ(現行6000円) ・市内小学校で 放火や児童の火遊びによるボヤ騒ぎが続発 庄内西小(11.23) 庄内南小(11.24) 島田小(11.27) 運動場を一般開放していた午後に |
平成48年12月1日 (1973年) | ・環境保全条例公布 |
平成48年12月10日 (1973年) | ・豊中市立労働会館開設 |
平成48年12月13日 (1973年) | ・東豊台小学校 上野東小学校という名になりかけていたが所在地の名称とする原則に反するということで豊島ヶ丘と言われ地形から 東豊中六丁目なので 東豊台に |
平成48年12月26日 (1973年) | ・豊中市立豊南小学校 空港機騒音防止のための校舎改装工事完了 |
平成48年12月 (1973年) | ・「オイルショック」による生コンや石油うの価格高騰や品不足で少路小学校や野畑小学校 建築工事中断 開校危ぶまれる ・私立小学校の過大化が進み この年 児童生徒数が1400人を超える学校が千里ニュータウン地区を中心に14校に達する ・熊野田小学校、宅地造成が進み 校区内から急速に失われてゆく「熊野田の風情」のこすため校地内に竹林を移植 5年後タケノコが顔尾を出し始める ・このころ 豊中市立第四中学校の生徒会で課外活動をより活発に展開させるため 下校時間延長の必要が議論される 杏けーろの蹴った否決され実現せず ・豊中市立第二中学校 学年単位で全員参加のキャンプが始まる 神鍋や蒜山で相互交流めざす |
平成49年1月 (1973年) | ・「オイルショック」によるモノ不足 値上げの余波が 学用品にもおしよせる 全年9月の時点と光うして 市内学用品店しらべ 学習長1冊 60円→90円 大学ノート1冊 50円→100円 鉛筆1D 180円→240円 ・私立あけぼの幼稚園(南桜塚) この年から「はだか保育」の実施をはじめる 忍耐を養うため 上半身裸で生活 冬場暖房器具も用いず(体調の悪い子以) |
平成49年2月14日 (1973年) | ・入試試験中 大阪音楽大学(庄内幸町)で火災発生 試験一時中断 続行し終了 |
平成49年2月15日 (1973年) | ・豊中市立南丘小学校 創立5年目 校歌制定 作詞保護者 作曲校区内の専門家 この日発表会 |
平成49年2月27日 (1973年) | ・大阪国際空港公害訴訟第一審判決 |
平成49年2月 (1973年) | ・豊中市立第十二中学校 運動場の北門から東門にかけてユーカリを植樹 市青年商工会議所から開校位記念とし寄贈され苗木 生徒が1本ずつ植える 同校のシンボルに |
平成49年3月1日 (1973年) | ・市社会教育委員会議 学校施設の開放拡大や市立美術館の穿設を市教に要望 ・豊中市立中豊島小学校 創立100周年記念井 記念碑と記念像を建設 ・豊中市立桜井谷小学校 創立100周年記念井 記念林を造成 |
平成49年3月28日 (1973年) | ・市教委 真年度から 給食費28%値上げ 低学年 1460円(1140円) 高学年 1510円(1180円) |
平成49年3月 (1973年) | ・市教委 新年度から 市立幼稚園に子供を通園させている保護者に対する補助金を増額し 月額1100円(900)とする ・豊中市立南丘小学校と北丘小学校に プレハブ教室の設置始まる ・豊中市立庄内小学校空気清浄機装置を 全教室に設置 ・豊中市立豊島小学校 創立100周年記念誌「わたしたちの町と学校」 を刊行し 社会科の副読本に |
関連 (1973~74) | |
・4月1日 豊中市の市外局番を「06」に統一 庄内地区を除き「068」、1964年以前は池田市と同じ「0727」であった) | |
・豊中市地名廃止 山ノ上 南今在家 上新田 | |
・豊中市立図書館 7月 新館第2期工事完成 8月 障害者サービス(対面朗読)開始 12月 団体貸出室開 |
全国 | |
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・1973年4月6日 祝日法改正。これにより祝日(国民の祝日)が日曜日の場合、その翌日となる月曜日が振替休日となった | |
・1973年4月20日 菊田昇 赤ちゃん斡旋事件 | |
・1973年7月20日 ブルース・リー、香港で急死 ドバイ日航機ハイジャック事件 | |
・1973年9月20日 エネルギー白書発表 | |
・1973年10月5日 筋肉注射液による大腿四頭筋拘縮症 山梨で多発 | |
・1973年10月6日 第四次中東戦争 この年 第一次石油危機 | |
・1973年10月21日 滋賀銀行9億円横領事件 | |
・1973年10月23日 江崎玲於奈 ノーベル物理学賞受賞 | |
・1973年10月25日 オイルショック 国際石油資本5社、日本への原油供給約10%減を通知 | |
・1973年11月29日 大洋デパート火災 | |
・1973年12月22日 政府 石油緊急事態宣言 | |
・1973年 ノストラダムスの大予言 発売 | |
・1974年1月15日 「軍艦島」が閉山 | |
・1974年3月7日 ユリ・ゲラーの超能力放映 | |
・1974年10月8日 佐藤栄作前首相 ノーベル平和賞受賞決定 | |
・1974年3月12日 フィリピン・ルパング島で救出された元日本兵 小野田寛郎帰国 | |
参考 | ・豊中市市史 ・https://ja.wikipedia.org |
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